2011年2月24日木曜日

ケンマサレル


カッターで芯を尖らせる度に
摩耗していくえんぴつ

汚れた手をきれいにする度に
使い古されひび割れる石鹸

僕らは
何かを得る為に
何かを犠牲にして生きている


それは素晴らしいことだと
夜の勢いでぎゅっと握りしめたこの拳の中身が
朝になるといつも泡のように消えてしまっているけど
そうやって握りしめたという事実に
僕はまだ
安心できているのだ




一路







2011年2月23日水曜日

コミュニティー


人はいびつな円

その円は
様々な方向へ広がり違う円と繋がって
まるで大きな葡萄のようになるのです

幾つもの葡萄の房は社会の蔓に垂れ下がり
熟すも枯れるも

土次第



一路








2011年2月21日月曜日

厚着をして


東京の風は

さよなら混じりの冷たさと

よくわからない期待を与え

弱い僕らを

なんとなく生きさせようと通り過ぎていくから

僕は厚着をして

今日も街を歩くのです




一路






2011年2月20日日曜日

海となる


真っ暗な
排水管を流れる水は
沢山の水垢を残します

その水垢が思い出だとすると
流れている水は感情か

渦を巻き
感情を吸い込むことをやめない排水口が
心の入り口だとしたら
僕は毎日
それに手を突っ込み
中にこびり付いた思い出を
そぎ落とそうと躍起になっているのです


流され消える思い出と
またこびり付く感情から生まれる思い出


つまり
心の墓場は海だ





一路




2011年2月15日火曜日

オンサイト


多分この世の中は
少しくらい捻くれてるほうが
生きやすいんでしょう

多分この世の中に
何か残すには
姑息さも必要なんでしょう

だから
朝靄のような心の中で
微かに見え隠れしている真っすぐで純粋な一直線を
僕は軽く撓る長い棒に変化させ
日常という綱の上を

はらはらと
はらはらと

渡るのです


葛藤という鉄板を背負い
今夜も綱渡りをする僕はまるで
サーカスのピエロだ






一路



2011年2月2日水曜日

僕は街にしゃがみ込んでいる


僕は街にしゃがみ込んでいる
誰も知らない
ビルの裏側でしゃがみ込んでいる

つまり
コーヒーに注いだ砂糖のように
僕は街に溶けているということだ


雑踏は夜に押しつぶされ
影は闇に埋もれ跡形もなく消え
足音は裸で走り回っている

この不安はこの街で
何番目くらいの大きさなのか

僕は知りたい
僕は知りたい


僕は街にしゃがみ込んでいる




一路



2011年2月1日火曜日

ユビィ

痺れたユビィの先端で
なぞった心の輪郭を
なんとか言葉で
言い当てる

痺れたユビィの先端で
指揮する心の煽動を
なんとか言葉で
食い止める

僕らが僕ららしくあるための
悲しい夜のセンシティブ流星群

しゅんしゅんと
飛べるとこまで

飛んで行ってしまえ



一路